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体を巡る大切な「気」の働き

「気」のつく言葉はかなり多い。空気、電気に始まり、「元気」「やる気」「気をもむ」「気を入れる」「気を引く」「気に病む」「気にかかる」「気を悪くする」「どうする気?」など、数えあげたらキリがないほど存在することに「気」がつく。

もともと「気」は「実体がない、見えないが、働きはあるもの」と定義されている。死ぬ直前の人と直後の人を比べても、よほどの失血死でない限り、体内での物量的変化はないはずである。

しかし、死人の心臓は止まり、血液の流れや呼吸も止まり、もちろん、表情もなくなる。つまり、死の直前と直後の違いは、「気」の存否といえるのである。

この「気」は漢方医学では、生まれながらにして親から受けついだ「先天の気」と、生後、自分自身の生命活動の中から作りだした「後天の気」から成っていると考える。

「後天の気」には、肺の呼吸により、鼻を通して体内にとりいれて作りだされた「天の気」と、飲食物として口から胃腸に入り、消化吸収されて作りだされた「地の気」がある。

この気は、ヒポクラテス時代の古代ギリシャ医学の「プネウマ」と、その定義が酷似している。

この「天の気」と「地の気」、それに先天の気があわさったものが「元気」(臭気)といわれ、人体のすべての生命活動に関与するエネルギー源とされる。つまり、

体を温めて、体熱を維持して健康を守り、病気の体外からの侵入を阻止したりする作用をになっており、生命維持の根源的な力というべきものである。

つまり、気が体内の「血」や「水」を動かす力になっており、生命に対する生殺与奪の権利をもっているものといえる。

この「気」の流れに異常をきたすと「血」や「水」の異常をきたすことは、容易に想像できる。

また、逆に「血の滞り」は「気の滞り」を生むし、「水の滞り」が「気の滞り」を生むこともある。「水の滞り」が「血の滞り」の原因にもなるというふうに、「気」「血」「水」は互いに関連しているのである。

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